整体から観る喘息の原因
喘息にも種類があるのですが、どの喘息でも首(頚椎)。首に喘息の急処と呼ばれる処があります。ここは自律神経にも関与していて、だから喘息というのは自律神経の関連なのです。
小学校に就学する時期。その頃に今まで無かったのに喘息になる子供がいます。こういうのは精神的な抑圧。多くは親からの抑圧が原因です。
もちろんその時期以外でも、これが原因になる喘息は多いのですが。
我が子の喘息を治したいと思って来院される方も少なくありませんが、子供の喘息を治すならば、これは親に対する指導が不可欠。親だって我が子に喘息になって欲しいはずもなく、抑圧しようと思ってしている訳でも無い。ただ気付かずにやっている。親子双方にとって悲しい状況。
喘息の急処は自律神経のみならず、腕との関連も深い。そして今の時期、春というのは腕の緊張・弛緩のアンバランスが生じやすい時期。
また、3月4月というのは環境の変化が多い時期。子供ならば上の学年に上がったり、幼稚園から小学校へと、そんな具合で環境が変わる。これは楽しみでもありながら、不安でもある。
ですから喘息なんかも起こりやすいのです。
気管支喘息と言ったって、気管支に原因があるかと言えば、そういう訳でも無い。呼吸器が弱いのか?と言えば強い人だってなる。
精神的な影響を強く受ける症状なのです。
ですから自律神経操法。整体の基本形の1つです。(自律神経操法は、手順を間違えるだけで逆効果になります。ちょうど真逆の効果になるので、観察を正確にできない様ならばしてはいけません)
アトピーに薬を塗って喘息に・・・
喘息と共にアトピーも持っている人は少なくありませんね。当然ながら無関係ではない。まずアトピーがあって、それに対してステロイドなどの薬を塗る。これが新たに喘息を作る。整体は昔からこの様に考えています。
最近だったと思うのですが、アトピーについての記事を書きました。気になる方はそちら御覧いただきたいのですが、アトピーの皮膚炎というのは結果。皮膚が原因では無いのです。
あれはただ体内の毒素を皮膚から排泄している。その排泄口を塞いだら、それは体に溜まってしまう。それで他の部位を毀す事になるのですが、それが呼吸器になりやすい。
まあ、もちろん西洋医学でこの様に言う訳じゃなく、だから気にせずやっているのでしょうけど、整体学や東洋医学の観点から言えば可笑しな事をやっているのです。
肩甲骨と肋骨と骨盤
まず肩甲骨からいきましょう。最近は肩甲骨を歪ませている人が多いですね。この骨も他から浮いた作りなってますから、歪みやすい骨です。それでバランスを取っている訳ですけど。肩甲骨は肋骨と共に、かなり呼吸器との関連が深いのです。
そしてそれに関与する背骨(胸椎)です。汗の急処もそこにありますが、汗の出が悪いのも喘息(かといって、サウナや岩盤浴での汗では喘息の改善にはなりません。汗の質が肝要)
それで、骨盤なのですが、今回は骨盤自体よりも骨盤付近にある「呼吸器活点」。そこに着目して欲しいですね。正確な場所は文字で伝えにくいのですが、本当に骨盤の近くにあります。
名前の通り、呼吸器に活力をもたらす急処。
自律神経の調整などで上手くいかない喘息は、呼吸器活点を使うとケロっと治ってしまったりする。
そして面白い事に、これらの骨は連動しています。
1つ変えれば全部変わってくる。だから間違った事をすると、全部毀れる。まあ、それは人体全般に言える事なのですけど。
四日市喘息
当院がある三重県四日市市。皆さん社会の授業で習ったと思うのですが、四大公害の1つである「四日市喘息」で有名な街です。現在では対策が取られたので、コンビナート付近は今でも臭いますけど、随分と影響は減りました。
昔、この四日市喘息の対策にあたった先生にお話を聞きましたけど、「え?そんな事で対策できたの?」と驚きました。
当院がそういう喘息の街である四日市だから、という事もあるのでしょうけど、喘息の相談は多いです。子供・大人問わず。
まとめ
何でもそうではありますけど、原因を放置したままでは根治は難しい。子供の喘息の場合は、上述した様に親からの抑圧が原因である事が多いので、親が考え方を変えなければ子供は苦しいまま。「じゃあどうすればいいのか?」と思われる方は、聞いていただければと思います。
「何か我慢してる事とか有るかな?」と子供に聞くと、付き添いの母親の顔色をまず伺う。その時点で抑圧が有る事は分かります。天心が失われている証拠ですから。
そういう場合には、ここで書いた部位以外の調整も有効。
喘息と言ったって色々。決まったやり方で通用する訳ではありません。ですから整体は観察が重要です。そこを間違えては、どうにもならない。
プロでなくとも親であれば本来、子供のサインには気付く様にできている。頭でアレコレ考え過ぎて、それで見逃しているのです。育児で最も重要な所こそを置き去りにしている。それが現代型育児の様に思えてなりません。