最近は承認欲求という言葉がよく使われておりますが、それと近い言葉が整体にもあります。
それが「集注要求」という用語なのですが、人は自らにどれだけ注意が向けられているか?を無意識に気にしている生き物です。
子供ですと、特に親からの注意を欲するわけです。それが足りない!と感じると、注意を集めるために自らの身を危険に晒すなんてことをやってしまう。
例えば高いところに登って「お母さん見てみて!!!」と、まあそんな所から飛んだら絶対ケガするぞ・・・という所から母親に呼びかける。
すると血相変えて母親が止めに来る。子供からすれば強い注意が自分に向いたのだから目的達成である。
しかしながら、この時に母親がいつものことだとか何とか、まああまり注意を子供に向けないと大変なことが起きる。
欲していた注意が向かなかった子供は、ついにそこから飛ぶわけです。そして当たり前のようにケガをする。子供としてはケガをしようという意識はないけれども、そうした行動をさせてしまうのです。
なぜならケガをすればさすがに自分に注意が向くから。
それでまあ終わればまだ良いのですが、看病してもらっている間に満ち足りて落ち着いても、その後にまた注意が不足した日々が続くと同じような行動に出るのですね。味をしめてと言いますか。
だから繰り返し大きなケガをする子供というのは注意を要する。
そうしたことを分かっておられない保護者が存外多いように感じる。公園など散歩していると割に見かけるから怖い。保育士さんや教員の先生方も分かっていないとマズイ。教員の方に分かっていないケースが多々見受けられるのは心配なところ。
と、今回は子供の、しかもケガだけに焦点を絞りましたけれども、実際は病気の場合も同じです。また詳しくやろうと思いますが。
それから大人でも同じですよ。奥さんに対して冷たくしていると、料理上手なはずの奥さんが最近よく包丁で指を切るとかね。切ると普段自分に興味なさげな旦那が「大丈夫か!?気をつけろ!」なんて言って絆創膏など持ってくる。これが必要な注意であるが、この時だけで後が放ったらかしだから不足する。だんだんエスカレートするから気をつけねばなりません。
それが「集注要求」という用語なのですが、人は自らにどれだけ注意が向けられているか?を無意識に気にしている生き物です。
子供ですと、特に親からの注意を欲するわけです。それが足りない!と感じると、注意を集めるために自らの身を危険に晒すなんてことをやってしまう。
例えば高いところに登って「お母さん見てみて!!!」と、まあそんな所から飛んだら絶対ケガするぞ・・・という所から母親に呼びかける。
すると血相変えて母親が止めに来る。子供からすれば強い注意が自分に向いたのだから目的達成である。
しかしながら、この時に母親がいつものことだとか何とか、まああまり注意を子供に向けないと大変なことが起きる。
欲していた注意が向かなかった子供は、ついにそこから飛ぶわけです。そして当たり前のようにケガをする。子供としてはケガをしようという意識はないけれども、そうした行動をさせてしまうのです。
なぜならケガをすればさすがに自分に注意が向くから。
それでまあ終わればまだ良いのですが、看病してもらっている間に満ち足りて落ち着いても、その後にまた注意が不足した日々が続くと同じような行動に出るのですね。味をしめてと言いますか。
だから繰り返し大きなケガをする子供というのは注意を要する。
そうしたことを分かっておられない保護者が存外多いように感じる。公園など散歩していると割に見かけるから怖い。保育士さんや教員の先生方も分かっていないとマズイ。教員の方に分かっていないケースが多々見受けられるのは心配なところ。
と、今回は子供の、しかもケガだけに焦点を絞りましたけれども、実際は病気の場合も同じです。また詳しくやろうと思いますが。
それから大人でも同じですよ。奥さんに対して冷たくしていると、料理上手なはずの奥さんが最近よく包丁で指を切るとかね。切ると普段自分に興味なさげな旦那が「大丈夫か!?気をつけろ!」なんて言って絆創膏など持ってくる。これが必要な注意であるが、この時だけで後が放ったらかしだから不足する。だんだんエスカレートするから気をつけねばなりません。